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1912年、『大和屋』の第一歩はここから始まります

あのタイタニック号が処女航海に出発した1912年、(大正元年)初代店主・岩上虎吉は29才にして、江戸時代から続く東京兜町の袋物屋「大和屋」の暖簾を受け継ぎました。当時、東京で最も栄えていた専門店街、現在の東日本橋にあたる両国薬研堀に店を構えたのです。『大和屋』の第一歩はここから始まります。ところで「袋物屋」とは一体、どのような品物を扱うものかご存知でしょうか。文字だけ見ると和風の物入れ=ハンドバッグの専門店のように見えますが、当時はまだまだ着物の時代、物を入れて運ぶには風呂敷が主流です。

現代では当たり前の手提げバッグと言う手の付いたタイプの物入れは、思いもよらず、巾着がその代役をしていました。その様な中、大和屋が得意としたのは、抱えバッグ。今で言うパーティーバッグです。その殆どがオーダーメイドです。時代背景には抱えバッグを持つ方々の多くが、どこへ出かけるときも取り巻きの付き人が荷物を運ぶので、物を入れる事より、粋で洒落たもの、自己主張の大切なツールとして扱われる事が多かったのです。同時に、紙入れ 今で言う(札入、財布)や巾着などもよく販売しておりました。また、袋物屋には欠かせないもう一つの大切な扱い品目が御座いました。それは着物のアクセサリーとして重要な帯留・かんざし・指輪・印籠・煙草入れ・煙管(きせる)などの宝石、宝飾品の数々です。

「大和屋の煙草入れ」がステータスシンボル

大和屋の歴史の起源となる兜町は、当時から株取引の盛んな町でした。今で言うディーラーは皆、着物姿で取引を行っていたのです。その時、男たちがステータスシンボルとして身につけたのが「煙草入れ」。どの様な煙草入れを持っているかで、その人のステータスが分かったと言っても過言ではありません。現在ならさしずめ、高級腕時計に匹敵するものであったと言えます。当時のタバコは、刻みタバコを煙管(キセル)に詰めて吸いました。写真のように刻みタバコを入れる財布状の袋、煙管を入れる筒、2つをつなぐ紐を止める緒〆(おじめ)という構成です。

当時流行の最先端と言えば、煙草入れの素材は鹿革や*金唐革、煙管は銀、筒には蒔絵をほどこし、緒〆はとんぼ玉…と、すべてオートクチュールで注文される方が多く、それを誂える店舗のセンスが問われるものでした。大和屋は素材の良し悪しを見極める目、職人の得手・不得手を踏まえた仕立て先の選別、意匠(デザイン)の斬新さで、多くのお客様の人気と信頼を得ていました。先人たちが積み重ねてきたこの商品創りの確かな眼と姿勢こそが、しっかりと現代にまで受け継がれている銀座大和屋の精神そのものなのです。

日本の手提げバッグのパイオニア

現在では、和装バッグの代表的な形になっている天マチボストンタイプ。これも銀座大和屋がヨーロッパの皮革製ボストンバッグを見本に試行錯誤の末、完成させた日本初のニ本手 手提げタイプの袋物の代表です。それまでの風呂敷、あるいは巾着タイプの袋物から手提げという手紐とファスナーの付いた全く新たなタイプの袋物のパイオニアとして銀座大和屋が注目される大きなきっかけとなりました。日本の袋物に於いて、巾着は茶器、小物入れ、道具入れなどに永年使われてきました。紐を引っ張ることでふたが閉まり、しかも閉めた紐を手紐として手に提げる事ができる、まさに一石二鳥の合理的な袋物です。

明治、大正、昭和と、海外から新しい技術が続々と紹介される中、昭和初期に、ようやくファスナーというこれまでに無い新たなふたを閉める手段がこの日本に紹介されることで、銀座大和屋は全く新たな観点から袋物を考案するに至ったのです。それまでの日常に於いて、財布は帯の間に入れ、少し大きなものは風呂敷などで包んで運ぶという考え方から私物、大切なものを手提げと言う新しいバッグに入れて持ち歩くという、新たな時代の要求を先取りした大和屋の提案が多くの方に受け入れられたのは言うまでもありません。日本袋物のパイオニアとして認めて頂いた第一歩です。余談チャックは英語のチャック(Chuck)とは関係がなく、きんちゃく(巾着)をもじってできた日本の商標名でした。ここでも、それまでの巾着とファスナーと言う新たな代用品の密接な関係が伺えます。評判が評判を呼び、ボストンタイプは創ればたちまち売れてしまうほどの人気を呼びました。財界、花柳界、邦楽、梨園等 多くのお客様に御用命いただき現在に至ります。銀座大和屋のボストンタイプのデザインは当時より変わっておりません。元の革製のボストンを忠実に模写した丸みをおびたそのデザインは一目で銀座大和屋のボストンバッグと見分ける事が出来ます。

袋物屋からハンドバッグの大和屋へ

昭和25年(1950年)頃、戦後の復興と共に皮革製品の需要が高まると同時に、濱野皮革工芸などと手を組み、多くのオリジナルハンドバッグを提案し販売して参りました。それまでの袋物に携わってきた腕の良い職人達が創る抱えバッグ、手提げバッグ、と西洋の技法で創られる皮革製バッグ。双方が刺激しあい、より良い物を創ると言う意気込みは高度成長という時代背景もあり数多くの人気商品を生み出してまいりました。その一つに、「指輪入れ」「山ひく小銭入れ」などの革小物がございます。最近では“古くて新しいもの”としての関心も高まり若い方でも手軽に本物の良さを味わえる小物として、雑誌などで取り上げられることも増えてまいりました。

「銀座コアビル」完成

昭和46年(1971年)、銀座四丁目交差点隣にファッションビルの草分けとも言える「銀座コアビル」が完成。オーナーの一人としてコア2Fに銀座店を展開。古くからのお客さまのご支援をも受けながら、さらに新しい展開を見せて今日に至っております。これから次の時代、より本物志向の若い方にも喜んでいただける独自のハンドバックづくりを目指して頑張って参りたいと考えております。

新しい時代に向けて「銀座大和屋」が考える“伝統—こだわりの心”とは

かつては煙草入れ1つ、抱えバッグ1つでも、デザインや金属部分の加工・素材にこだわったお客様が多く、世界で唯一の自分だけのものを持つ喜びと、それを作り上げてゆく過程をも楽しむ日本の文化がありました。現在はこういった「こだわりの品を長く使う」という感覚が薄れている時代になっていますが、その様な時代だからこそ、お客様に信頼していただける「目利き」と確かな「もの作り」が何より大切なことと考えています。現在でいうオートクチュールを主に手がけてきた宝石自社工房も、三世代目になりますが、創業以来“常に良いものを創る”という精神は先代から現店主、そして次世代の工房や社員に脈々と受け継がれております。毎日気軽に使える“本物志向”の商品から、“作る過程”をも楽しんでいただけるオーダーメイド・ハンドバッグまで、質の高い商品を備えてお応えすることが、銀座大和屋が守り育て続けてきた「伝統」です。時代の感覚を敏感に受け止めながら流行に押し流されることなく、永く大切にお使いいただくハンドバッグや小物をお求めの節には、ぜひ銀座大和屋へご相談下さい。

※和装装身具、最後の「目利き」大和屋には、先代・岩上虎吉の時代から従事して今日に至る、佐藤悦朗という大番頭がおります。同じく浅草区柳橋の袋物商の生まれで、幼い頃より商品を見て育ち、彫金師、袋物仕立て職人などとの広い交流がありましたが、修行のため大和屋へ入り先代社長の教育を受けながら今日まで、銀座大和屋の一員として活躍してき参りました。今日では、江戸袋物、彫金、帯止め、櫛・かんざし、印篭など和装装身具のコレクターとしても注目され、執筆活動にも忙しく従事。袋物・煙草入の解説には欠かせない最後の「目利き」と、たばこと塩の博物館(専売公社)主席学芸員 岩崎均史氏に賞賛いただいております。 *池田重子著書「袋物」「櫛・簪」より

銀座大和屋の沿革

  • 大正元年(1912年)初代店主・岩上虎吉、29才にして東京兜町の袋物屋「大和屋」の暖簾を受け継ぐ。
  • 昭和14年(1939年)銀座店開店。(支店)・昭和21年(1946年)6月、戦後の焼け野原にいち早く銀座店を再開。
  • 昭和23年(1948年)軽井沢夏の店を開店(旧軽井沢銀座・近藤長屋)。
  • 昭和23年(1948年)「株式会社大和屋」を設立。
  • 昭和32年(1957年)大阪店を大阪高島屋に開店。
  • 昭和37年(1962年)現店主岩上定弘が31歳で社長に就任。
  • 昭和42年(1967年)名古屋店を名鉄メルサに開店。
  • 昭和46年(1971年)10社共同出資による銀座コアビル完成。オーナーテナントと して現在の銀座本店を開店。
  • 昭和48年(1973年)金沢店を金沢スカイプラザに開店。
  • 平成4年(1992年)銀座コアビル改装後、ハンドバッグ&和装部門を『銀座大和屋』、宝石部門を『La Main Yamatoya』として展開。現在に至る。

銀座大和屋銀座大和屋

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